大楽閔堂を知る

大楽閔堂とは

大楽閔堂では、人間として正しく生きていくための「考え方」「見方」「捉え方」を徹底的に系統立てて、大局(すべてのこと)を学んでいただきます。

勉強会スタイルで神様の教えを学びながら理解をし、日常生活の中で応用活用していきます。

大楽閔堂の成り立ち

大
最高を意味します
楽
ただ単にラクになることではなく、人生のこと分けがよくわかると、生きることに穏やかに楽に生きられるようになるという意味です
閔
一般的に学問は「問」という字ですが、それは人間の学問。大楽閔堂は神様の学問を教わる場ですから、「閔」という字で表します。

とは、「人生最後の辿りの場」であり、本物の「生涯学習塾」です。

堂主ご紹介

二代目堂主 窪 倖摂 先生

窪倖摂先生

昭和17年熊本県生まれ。

22歳で結婚、2児の母親となる傍ら、父親の家業を受け継ぎ、数々の苦難と苦労を乗り越え、家業を熊本一の売り上げにまで成長させる。

40歳の時、「自分は何かやることがある」と一大決心。家業の営業権を信頼できる方に譲渡し、上京する。

平成元年に異業種交流会「リンケージシステムズ」を設立。

その後47歳で真理・道理を説かれた 大楽閔堂 初代堂主 窪 光波 先生と出会う。

自分の目指していた生き方との出会いを確信し、寝食もいとわず、師より直接教授を受け、光波先生と正式に夫婦となる。

以後、師の後継者として平成13年5月8日、大楽閔堂教授としての許可を神から正式に賜り、平成24年9月、窪 光波 先生のご逝去に伴い、正式に大楽閔堂二代目堂主に就任。

今日まで、東京高輪の教室を中心に、埼玉、名古屋で毎月勉強会を開き、年令・性別・肩書きを越え、「人生とは何ぞや」「人間としての生き方」の勉強会を進化させることになった。

令和2年10月に「人間の真実を求め続けて」を出版。

(次期)三代目堂主 窪 康一朗先生

窪康一朗先生

初代堂主窪光波先生の長男。

昭和33年光波先生が神直々に祈願されて誕生された、大楽閔堂の次期三代目堂主。

三代目就任の際の堂主名は「窪 光和」である。